たこ焼き、明石焼、玉子焼き
Zの先行きを心配し、夜も寝られぬ今日この頃・・・。息抜きに明石まで玉子焼きを食べに行ってきました。
たこ焼きは今では大阪名物とされ、外はカリカリ、それを醤油味そのままか、たこ焼きソースで食します。一方、たこ焼き発祥の地明石では、玉子焼きと呼ばれ、外も中もやわらかく、ソースをつけずにダシに浸けて食します。
まぁこれが普通の食べ方なんですが、私の地元姫路では、ソースを塗ってダシに浸ける、それはそれは贅沢な食べ方が好まれます。ショウガ醤油で食べる「かんとだき(関東煮)」(注1)同様、少し変わった食べ方のようです。35年ほど前、子供の頃にヤマトヤシキ(どう考えても変な名前の百貨店)や山陽百貨(こっちはそのまま過ぎ)で、母親が買い物してる間にカウンターに座らされて食べてた記憶が、これが姫路ではごくごく一般的な食べ方です。
で、その明石で一番の「きむらや」。この店は平日昼間でも行列(といっても10〜20分待ち程度で、関西には関東みたいに1時間も待ってまで食べる行列好きな人はおりません。私も何度かあきらめました。)ができるほど人気のお店ですが、玉子焼きもダシもおいしいのはもちろんですが、そこにたこ焼きソースも置いてある。他の店では変なこだわりがあるようで、たこ焼きソースは置いてません。姫路っ子としては最高のお店。肝心の玉子焼きの味は、どの店よりも懐かしい、昔から何も変わらない味。
その美味しい玉子焼きを食べながら思いました。味覚も感性もファッションも嗜好も、子供の頃から育った時代背景で形成され、何らかの衝撃を受けた時点が原点で、その後の流行や周りの環境に影響されていろんな方向へチャレンジしてはみるものの、結局慣れ親しんだものが最高で、最終的にそこへ戻ってくるのでしょう。インスタントラーメンはイトメンのチャンポンメンかカップヌードル、憧れの車はスーパーカー。スタバのコーヒーが美味しいと思えないのも、最近の車に魅力を感じないのも、原点はそこにあるのでしょう。
美味しいものはいつまでたっても美味しいし、美しいものはいつまでたっても美しい。たこ焼きは丸いもの、それが最もたこ焼きらしい美しい形、四角くする必要は無いはずです。昔ながらにソースとダシで食べるのが懐かしい味、玉子焼きにマヨネーズは必要ありません。変わらない事も重要で、変える必要の無いものまで、無理矢理変えようとすると無理が生じてしまうのでしょう。
息抜きの玉子焼きのはずが、ここでもやはりZのヘッドライトが・・・。無理矢理変える必要はないのに・・・と。
「きむらや」の玉子焼きは20個で800円。少し高いように思いますが、2人で1人前もOKです。他店では15個500〜600円で、たこ焼きソースはありません。さらに昔ながらの「かんとだき」もあります。
きむらや
注1)かんとだき:関東の「おでん」とは全く異なり、もっと味が濃く、とろとろの大根とすじ肉、茶色くなった卵が最高で、それにしょうが醤油をかけて食します。最近では「姫路おでん」の名でB級グルメとして宣伝されているようですが、姫路でおでんと言えばみそ田楽の事で、地元ではおでんなんて呼びません。間違った変な宣伝するな!と言いたい。
ちなみに「かんとだき」と呼ばれる料理は、戦時中・戦後に関東軍が持ち帰った料理であるという説があります。関東鍋とか広東(かんとん)鍋から関東煮になったとか・・・